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白隠禅師と田種寺


 1737年(今から275年前)


 九世の寛瑞和尚が、白隠禅師(当時53歳)の側近の弟子となる。当時、8代将軍吉宗の時代

 1759年(今から253年前)宝暦9年


 寛瑞和尚は、白隠禅師(当時75歳)に龍澤寺への入寺を勧め、その後ただちに、京都の臨済

 宗大本山の妙心寺へ、龍澤寺を本山の直末寺とするための手続きに奔走する。


 1760年(今から252年前)宝暦10年


 白隠禅師(当時76歳)が、田種寺にて暫くの間、滞在され金剛経の講義をする。当時の様子

 は、白隠禅師の著書の八重葎の中に詳しく記されている。当時、本堂裏手の稲荷大明神のお告

 げがあったとのこと。


 1761年(今から251年前)宝暦11年


 寛瑞和尚の努力が実り、白隠禅師の高弟であった東嶺和尚を陣頭指揮に着々と整備作業が進め

 られる。9月3日、白隠禅師(当時77歳)が龍澤寺に入寺する。この様子は、「龍澤寺開山  

 上堂普説」に開山式が20日に渡って行われた事と共に記されている。白隠禅師が、いかにこ  

 の新地を喜び、感激に浸られたかが伺われる。


 1868年(今から145年前)明治維新


 その後、平成24年の現在は、17世の喜久和尚が住職を務める。

 ※ 白隠禅師

 「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士の高嶺に原の白隠。」と、昔からこの地域で親しまれている臨済

 宗中興の祖。杉山氏。全国的に有名な、禅宗の大和尚。坐禅をやる人で知らない人はまず居ないと言わ

 れるほどの高僧。その思想や作品は、今でも海外で高い評価がなされている地元の偉人です。


 

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